今日のTed Siderゼミ

今日のTedのゼミは、Eli Hirschの存在論についてのデフレ主義。前回までのネオフレーゲアンの話は参加者の大部分が苦しんでいたけれど、今回はどうだったろうか。
今日の内容は、Tedの"Ontological Realism"とかなりかぶる。デフレ主義にはいくつかのバリエーションがあるが(Hirsch以外に、Karen BennettやPutnum、Chalmersが挙げられていた)、Hirschの立場はQuantifier Variance、つまり、量化子の意味の候補は複数あり、どれも同等に「自然」。注意すべきは、この場合の量化子は単に言及されただけではないこと。その上で、量化子の意味によって区別された言語のうち、正しいのは日常的に真だとみなされている文を真にする言語だと論じられる。

これに対して持ち出されるのが、伝家の宝刀LewisのNaturalness。useとeligibilityの説明から、KripkensteinのパラドックスとPutnumのモデル論的議論に対するNaturalnessによる反論。で、Quantifier Varianceに対して、論理的概念にもNaturalnessを適用するというTedの反論。ここで今日はお開き。なんでも、全米大学バスケの決勝を見るからだそうだ。「よければうちで一緒に見よう。ビール準備するし」と声をかけるとこをもTedらしい。

それにしても、量化子にNaturalnessを適用するのは、どうもピンと来ない。Quantifier VarianceやPriorのtonkが胡散臭いのは納得するけれど、それに反対するにはNaturalnessしかないんだろうか。まあ、TedにとってはNaturalnessはとっても大事な概念だから、使いたくなるのは理解できるけれど。