日本語の読書案内・その5

久しぶりすぎてどんなこと書いてたのか忘れてるけど続き。

〈第5章:何かがあるのはどうしてかに関して〉

第4章に引き続いてこの章もなかなか大変。「この世の中がまったくの無ではないのはなぜか?」という問題自体は、これぞ哲学って感じだから理解やすいと思う*1。でも中身はというと、第4章に負けず劣らずちまちましていて流れがつかみづらい。そのうえ、第4章とかぶってることが多い(たとえば、どっちの章でも存在論的証明が取り上げられている)。実際、第4章と第5章はセットになってると言うか、二つでひとつみたいなところがあるんだよね。なんでこんな構成にしたのか不思議だ。

とりあえず、この章の全体像をちょっとでもイメージしやすくするために、ここでおおざっぱに整理してみたい。この章は三つのパートに分かれてる。最初のパートでは、どういう問題を扱うのかが説明されている。131ページの「必然論」からは次のパート。ここでは、〈この世の中が無ではないのは必然的に存在するものがあるから〉という説(これが必然論)が検討される。最後のパートは148ページの「最小限の偶然的存在」からで、〈この世の中に必然的に存在するもの以外のもの(これが偶然的存在)があるのはなぜか?〉という問題が扱われていて、最後に「まとめ」がある。

そういうわけなので、「そもそも何が問題なんだ?」と思う人には、最初のパートをじっくり読むことをおすすめしたい。「必然的に存在するものがあるかどうかがポイントだな」と思う人には次のパートが、「必然的存在とか言われてもよく分からない」という人には最後のパートが向いてると思う。まあ、じっくり読んだら分かるのかと言われれば困るんだけれど。

さて読書案内。やはり、まさにこの問題を扱っている論文「そもそもなぜ何かがあるのか」が含まれている『現代形而上学論文集 (双書現代哲学2)』を挙げないわけにはいかない。この『論文集』についてはこれからも触れることがあると思うのでいまは何も言わずに、「そもそもなぜ何かがあるのか」についてだけ言っておこう。実はこの論文、この章以上になかなか大変。だからこの論文を読む前にこの章に目を通しておいた方がいいと思う。この章を読むのが大変で、読書案内として挙げる論文を読むのも大変なんだから、この問題はそれほど大変な問題ってことだろうね。

*1:もちろん、「そんな問題に悩むことが理解しがたい!」って思う人もいるだろうけど、哲学ってだいたいそういう「理解しがたい」もんでしょ。