出版祝いの極私的後書き・その3

ようやく年内の仕事に一区切りついたので続き。訳語についてつらつらと。かなり長いよ。

  • 延続・耐続(perdure/endure)

これには本当に紆余曲折があった。そもそも僕が最初にperdure /endureに出会ったのは、院生時代のゼミでLewisとLoweのやり取りが取りあげられたときか。そのときから、これはどう訳しても良い訳にならないと思っていた。なにしろ、元の英語ですらそんなニュアンスの違いはないんだから。実際「訳を放棄する」という方針を取ったこともある。

ひとつの転機は、やはり青山訳の「永存・耐時」。特に「耐」という漢字を使うなんて思いもつかなかったが、確かにそれでendureの雰囲気がより伝わる。しかし、青山訳の問題は「永存」。本書のあとがきでも述べられているが、perdureと「永遠・永久」は直接結びついていない。特に、ここを安易に結びつけてはいけないというのがSiderの論点でもあるので、少なくともこの翻訳に限れば「永」という字は使えない。

で、どうやって「延続」という素晴らしい訳語(ですよね?)にたどりついたのか。この件に関して僕の貢献はまったくないということは断っておきたい。ある訳者がふとつぶやいたことばを別の訳者がかなり後で拾い上げたとだけ言っておこう。このことばが的を射ていることはperdureの(そして四次元主義の)の本質がどこにあるかを考えてみればよくわかる。第三章では、時間に関しても空間と同じように部分と全体の関係が成り立つということに基づいて四次元主義が規定されている。つまり、物体は空間に関してだけでなく、時間に関しても同様に延長しうるというのが重要なポイントなわけだ。

「ちょっと造語・哲学用語すぎやしないか」と思われる方もいるかもしれないが、10日間ほど毎日口に出して使ってみてほしい。だんだん慣れてくると思う(てな冗談を「延続」を推薦した訳者は言っていた)。

ところで、聞かれる前に言っておくが、exdureの訳語については特にアイデアを持っていない。上に書いたように、「耐続・延続」についても僕は何の貢献もしていないんだから、期待しないでほしい。

ただ、一点だけ述べておくと、exdureという用語を導入するためには、段階説(≒exdure)をperdureから切り離す必要があるが、そうするとperdureと「永遠・永久」とは結びついてしまうかもしれない(必ずしもそうではないと思うが、「perdure」自体をそう規定することは許される)。なので、この場合はperdureを「永存」と訳すデメリットは少なくなる(もちろん、だからといってexdureを「延続」と訳したりはできないが)。

つまり、「endure vs perdure」という構図ではなく、「endure vs perdure vs exdure」という構図で捉えると、「延続・耐続」という訳語の良さが失われるので、また別の訳し方が必要になる、ということ。

  • 余すところなく現れている(wholly present)

これも「どない訳せっちゅうねん」という用語のひとつ。原語のニュアンスとしては「丸ごと」「そっくりそのまま」といったところだろうか。だが、ストレートに訳してしまうとあまりに軽く、これがテクニカルタームであることが伝わらないという困った欠点がある。

この訳語は「wholly(全て)」を「残された部分がない」とメレオロジー的に解釈したことの勝利だろう。さらには、三次元主義vs四次元主義の対立をメレオロジーに基づいて解釈するという本書の方針が適切であることの証拠といってもいい。つまり、厳密な規定を与えることによって混乱が避けられる、ということがここでも実証されているわけだ。

  • 永久主義(eternalism)

実はこれは単に僕の趣味。ただ、どちらかといえば、「永遠」には果てしなく拡がっているというニュアンスが、「永久」には時間を超越しているというニュアンスが伴っていないだろうか。

  • ネバネバ(gunk)

そもそも「gunk」って洗剤の商品名かなにからしい。こんなことばを持ってくるLewisって…。これも僕にはお手上げだったんだけれど、候補として上がったものから雰囲気で選んだと思う。最終的にカタカナにしたのは僕だったかもしれない。

  • 構成・組成(composition/constitution)

本書の裏テーマが、無制限構成の原理(どんな存在者のメレオロジー的和も常に存在するという原理)の擁護であることは気付かれただろうか? ある物質的対象が別の物質的対象を「構成」ないし「組成」するのはどういうときか、という問題は分析的形而上学の大きなトピックのひとつとなっている(代表的な著作は、ヴァン・インワーゲンの『物質的存在者(Material Beings)』)。この問題に対し、「常に構成する」と答えるのが無制限構成の原理で、代表的哲学者はLewis。逆に「常に構成しない」と答えるのがニヒリズム。言わば、本書の議論は、構成に関する議論の「応用」となっている。

そういう事情があるので、composition/constitutionもしっかりと訳さないといけないのだが、なにしろ日本ではperdure/endure以上に論じられていない問題。実のところ、僕自身も、この訳語で確信がもてるほど、この問題に詳しいわけではない。ただ、ふつうメレオロジー的関係として解されるcompositionに対し、constitutionは異なるカテゴリーに属する存在者の関係と解されているので、constitutionに「組成」という訳語をあてるのは間違いではないだろう。

  • 擬同一性(genidentity)

正直、これが定訳になってると思ってた。実際、genidentityは文字通りの意味では同一性ではなくが、事実上同一性の正体となる関係なので、この訳はなかなかポイントを付いていると思う。でも、実際にはほとんど訳されてないのが実情っぽい。調査がちと足りなかったか。

どうやら元は「同一性を生成する関係」って意味らしいので、確かに「生成同一性」でもいい。でも、それだと「生成についての同一性」とか「生成をもたらす同一性」とか読めてしまうので、ミスリーディングじゃないかなあ。できれば「生成された同一性」というニュアンスがほしいんだが。ただ、これは助詞のない漢語だけで訳すことの限界なのかもしれない。

  • 真理メーカー(truthmaker)

これは鬼門。とにかく使役のmakeをうまく訳すのは不可能。しかも、ほかにtruth-bearerやらtruthmaking-relationやら関連する用語がいっぱいあるので、それとうまく折り合うように訳さないといけない。無難なのは「真にするもの」と訳することだけれど、これだとテクニカルタームであることがまったく伝わらない。ならば開き直って「真理メーカー」でいいんじゃないか。

でも、案外この訳は悪くない。「〜メーカー」と言っても「〜を作るもの」とは限らないのは、「キングメーカー」や「脳内メーカー」という例からも理解されると思う。逆に「制作」とか入れてしまうと誤解を招く。

実は「真理基」「真(理)化者」という案もあった。どれも意味としては問題ないと思ったけれど、語呂が悪いという理由でボツにした。やはり、語呂の良さにかけては、真理メーカー」の右に出るものはないね。

  • 段階(stage)

別に「All the world's a stage」に合うように訳そうとは思わないが、ストレートに「段階」と訳すだけでは足りないところがあるのは確か。ただ、これは訳語の問題ではないのかもしれない。というのは、Haslangerの規定ではexdure≒段階説とされている。でも、段階は「何かの」段階のはず。では、何の段階なんだろうか?

Siderの場合、ワームの一部分で、ある条件を満たすものが「ワームの段階」。つまり、彼の段階説は厳密に言えば「持続物=ワームの段階」説。一方Haslangerは、どうも持続物そのものが段階をもち、しかもその段階というのは持続物の部分ではないと考えているようだ。たとえば、ある時点における持続物の見た目を「段階」と考えればこのことが成り立つ(ただし、この場合、持続物の時間的同一性は前もって定まっている必要があるので、耐続説になる)。

Haslangerの考える「段階」が何なのか僕にはさっぱり分からないが、「段階」や「stage」ということばには、そう考えることをを許す何かがあるのかもしれない。