今週のKit Fineセミナー

例によって、更新するのがだんだんおっくうになってきた。まあ、できる範囲で記録していくことにする。

先週はDorrの講演とかぶったので休んだ火曜のKit Fineセミナー。もちろん今週はちゃんと行く。また時間潰しにまわりを散歩していたら、ビヤードパパを見つけた。ほんとニューヨークには何でもあるな。

今週はやけに人が少ない。いつもの半分もいないだろう。Gabeもいない。ただ、今日はPaulが二人。いつものBoghossianだけでなく、Paul Horwichが。だいぶ慣れてきたが、それでもこの豪華さに腰を抜かしそうだ。
さて、前々回、「来週はPetittのRealism and Responce-Dependenceをやるよ」という話だった。いちおうざっと眺めておいたんだが、どうやらPetittの話は前回で終わったらしい。Fineがどんなことを言うのか、興味深かっただけに残念。

今日は、モデルについての考察と、ちょっと予想外な問題への応用がメイン。まずはモデル。ちょっと考えれば予想できるが、Fine流のRD conceptの定義ではえらいことになる。RD conceptは「C=λxJCx」と定義されていた。この「J」は判断を表すオペレーターなので、認識論理に従うとしよう。すると、Jφが成り立つかどうかは各doxastic alternative(認識的代替でよかったっけ?)でφが成り立つかどうかによって決まる。ところがRD conceptの場合、Caが成り立つかどうかはJCaによって決まるわけなので、現実世界でCaが成り立つかどうかは、JCa、すなわち各alternativeでのCaが成り立つかどうかによって決まる。が、もちろん、それが成り立つかどうかもそのalternativeのさらにalternativeでCaが・・・となるので、モデルは爆発的に拡大することになる。もうひとつ興味深い点は、現実世界で何が成り立つのかが、結局はdoxastic accessibilityが作り出す構造に依存するということ。

さて、予想外な応用というのは、共同的な意図的行為の分析のこと。特に、各共同行為者が他の共同行為者もこの行為をする意図をもっているということを前提に当の行為を行うケースが、RD conceptを使って分析できる。つまり、二人の人が道頓堀に一緒に飛び込むケースでは、どちらもが相手も自分と同じで、相手が飛び込むつもりがあるという前提で飛び込むつもりがある。この意図の循環というか、再帰性を、RD conceptを使って表現するらしい。

「らしい」というのは、最終的にそこんとこは次回に持ち越しになったから。どうもこの問題、いつもセミナーに参加してるJ. David Vellemanの論文と関連してるから取り上げた(逆に、だからDavidは参加してる?)みたい。この辺は前回出なかったのが影響してるかも。

ま、正直なところ、だいぶ僕の関心とは遠い話になってるので、次回はほどほどに聞くことにするつもり。

おまけ。Horwichはびっくりするぐらい静かな人だった。二回ほど質問してたけど、口調も穏やかで声も小さい。なんというか、ご隠居さんてな雰囲気だった。