Daniel Dennett講演

この日はデネットの講演があった。題は、「Looking Under the Hood: What Do We Find When We 'Reverse Engineer' Religions?」*1。ただし、この日の講演者はundergraduate committeeによって選ばれたそうで(なんでも1970年のクラス会が後援しているらしい)、場所も哲学科じゃないし、一般向けの講演。見物がてら行ってみた。
内容は、例の最近出た本と同じ話(らしい。読んでないので)。まず、宗教の振る舞いを科学的に観察すると、ウィルスに似ている(これ、スペルベルの『表象は感染する―文化への自然主義的アプローチ』とまったく同じ話だと思う。宗教的信念が表象の一種であることを考えれば当然だけれど)。

ただしこれは「だから宗教はウィルスみたいに悪いものだ」ということではない。むしろ、ウィルス自体は、行為の主体になりえないので良くも悪くもない。それが引き起こす結果に対して、良いとか悪いとか言われるに過ぎない。ここで羊が例に出される。かつて羊は野生動物だった。だが今では家畜として生き残っている。これは羊が賢かったからではない。家畜化というプロセスを現在の我々の目で見れば、羊という種の生存にとって賢い選択だとも言える。だが、厳密には、誰かが賢かったから羊は家畜になったのではない。ここで「誰が賢かったのか?」と問うことは的外れである*2。宗教も羊と同じプロセスを経たと考えられる。かつては「野生の」宗教しかなかった。だが、それは現代的な宗教の特徴を手に入れることで「家畜化」され、より伝播しやすく、存続しやすいものとなった。これは単にプロセスの話であり、善悪は関係ない。

とまあ、こんな感じで、講演自体の趣旨は、宗教を純粋に現象と捉えて科学的に研究できるんじゃないか?という提案。ただ、その一方で、学校での宗教教育も行うべきだというのがデネットの考えだそうだ。ただし、それはすべての宗教のすべての側面(教義、儀式、等々)を教えるものにすべき(というか、宗教を科学の研究対象と捉えるのなら、研究結果を学校で教えるのは当然の帰結のような気がする)。

感想、というほどのものは正直ないんだけれど、ちょっと思ったのは、宗教を純粋に現象的側面から分析するのは、笑いを分析するのと同様に、一番大事な部分が抜け落ちてしまう(あるいは不十分な記述しかできない)んじゃないかと。これは、認識論の内在主義/外在主義の対立でも似たようなことを思ったんだけれど、外在主義者にとっての知識は、そう呼べるものではあるとは言え、内在主義者からすると、どこか的外れという感が否めない(これは、外在主義が懐疑論をやっつけるやり方は単純すぎるみたいな批判を考えてます)。もちろん、内在主義者がなにを目指しているのかもあまり明らかではないけれども、頑張ってそれを明らかにすることも認識論のひとつの課題だろう。デネットの主張が正しくても、他の方法で宗教を研究する必要性も残るんじゃないだろうか(もしかして、宗教の哲学の課題になるのか?)

*1:哲学科のウェブサイトでは「Receive Engineer」になってるけど、これは誤り。

*2:当然これはIntelligent Design批判。加えて、最近の宗教関連の本をおちょくった笑いもいっぱいあった。