今日のJason Stanleyセミナー

もちろん今日もJasonのセミナーに行く。ただし30分ほど遅刻。
今日もフレーゲ。僕が着いたときはシーザー問題の説明をしていたが、今考えると、これには触れないよということだったらしい。で、『概念記法』では意味論的内容は推論における役割によって特徴付けらている。Brandomはこれをフレーゲの初期の立場とみなしているが、これはミスリーディングで、実際にはこの時期のフレーゲには内容の理論はなかった(表現の理論だけ)。対象と関数という存在論的(ないしタイプの)区別は、おそらく形式主義への批判を通じて『算術の基礎』になってから登場する。ここで馬の概念の話に言及したのかな(忘れた)。Jasonは、それが問題なのは理解できるが、どういう問題なのかはよく分からないそうだ。

ちょっと面白かったのは、一昔前のアメリカでは『算術の基本法則』を読んでる人が少なかったせいで、フレーゲの動機が論理主義にあることが見逃されがちだったという話。文のイミ(Bedeutung)は真理値だという見解も、言語に関する独自の洞察があったというよりは、命題論理では真理値が等しい文は交換可能であることをストレートに反映してると解釈する方が自然。

最終的なフレーゲの立場が現れるのは、マーティ宛の書簡(飽和/不飽和の区別が登場する)。でも、まだ有名な意義とイミの区別は登場しない。このあと、つまり「関数と概念」や「意義とイミについて」、そして『算術の基本法則』の第一部。というところで休憩入り。

休憩の後、いきなり図を書き出す。でも、Jasonによれば図は理知的ではないらしい(intellectualismっぽくて笑えた)。フレーゲフッサールに説明するために使った図(要は、概念語と意義とイミ(概念)が三角を構成しているやつ)を、フッサールというのはハイデガーの弟子(←筆が滑りました。もちろん師匠です)でね、なんて簡単な説明を加えつつ書く。どうもここではフッサールは説明を要するらしい。

そのあとは、量化が二階の概念だということをλ抽象やモンタギューに触れつつ説明。要は、関数の概念がもっとも基本的だということらしい。それに関連して、確定記述を構成する「The」を概念から対象への関数とみなす立場はあまり検討されていないと言っていたけれど、これはOn denotingでフレーゲの立場として批判されるThe Principles of Mathematicsのラッセルの立場と同じ問題が生じるだけじゃないだろうか。