KantとSellarsとWittgenstein

で、Hさんの発表を途中から聞く。僕の印象は↑こんな感じ(途中からですが)。同意しないこともあるが、納得するところも多かった。聞いてよかった。でも、他の参加者はHさんの主張の核心がいまいち理解できない模様。「Discourse」の解釈によってはとっても変な主張に聞こえてしまうらしい。少なくとも「理論」よりは「言語ゲーム」のように解釈した方が適切だと思う。もっとも、そう考えると「Discourse」がどういうものなのか、さらに理解しがたくなるけど。