翻訳とFROG、脳幹と規約

昨日は例の翻訳の打ち合わせとFROG(という名の研究会)の会合のために池袋へ。池袋に行くのは二回目なので、ちゃんと待ち合わせ場所に行けるか不安だったが、あっさりSさんと出会う。その後、もうひとりの訳者のid:Kenosさんも合流し、三人で喫茶店へ。思いのほか込んでいて多少歩くことになった。翻訳の打ち合わせは、出版社で聞いたことを大ざっぱに伝えて今後の方針の相談。特に担当個所の分担。つつがなく、そして楽しく終了。

次にFROGの会合へ。とは言え、夕方から飲み屋でやるのを会合と言えるだろうか?(笑)。それでも、ビール片手に(僕は飲めないので飲んでませんが)ちゃんと某学会のワークショップという真剣な話題を討議する。一時間ほどでだいたいのことは決まったので、後は普通に飲みに移行。いろんな話をしたが、脳幹の話が一番盛り上がった(医学ネタではないですよ、念のため)。結局、ある特定の器官が脳幹であるかどうかは、その生物がどういう生物であるかに依存するんだから、いろんな留保条件を付けないと「脳幹の状態によって生死が『正しく』決定される」なんて言えないでしょ。

最後に四人で二次会へ。池袋駅前のなかなかに値段の高い喫茶店。話は、脳幹であるかどうかは規約的かどうか、というのを経由して、規約の話へ。不思議なことに、数学的概念が規約かどうかという点について、きっちり2対2に意見が分かれた(ちなみに僕は規約を支持)。自然数の「正しい」定義なんてどこか変だから、規約だと言っていいと思うけれど。

ただ、どうやら僕は「正しい」という言葉を「真である」か「ある状態に至るために有効である」以外の意味で使うのが嫌なようだ。たぶん、「正しい」の持つ強制力に問題を感じつつも、「正しい」が無意味だとは言いたくないからみたい。自分のスタンスからすれば自然だと思うけれど、人を説得する程の議論はまだできないな。