四次元主義者達へ

木曜のFour-Dimensionalsim*1読書会で出てきたShoemakerの"On What There Are"*2について、気になったので読み返してみた。半分ほど読んで疑問は氷解。以下、読書会参加者(略して「四次元主義者」←異議・抗議は受け付けません)向けのメモ:

  • Siderがconventional identityと読んでいるのは、Shoemakerがfishy thing(このfishyは「でっちあげられた」の意味)と呼ぶものの同一性のことらしい。

fishy thingの例:

  • grue:ご存知、グッドマンのグルー
  • klable:キッチンにテーブルが一つだけあってリビングにもテーブルが一つだけある家の、片方のテーブルの午前中の時間的部分ともう一方の午後の時間的部分からなる存在者。Shoemaker自身の"Identity, Properties and Causality"*3の例。
  • incar, outcar:ガレージに入ってる車がincarで外にある車がoutcar。つまり、車をガレージから出すと、incarが一台消滅してoutcarが一台誕生する。これはEli HirschのThe Concept of Identity*4の例らしい。
  • contacti-person:これは説明が難しいな。主にある人物の時間的部分から構成される存在者だけれども、その人物が誰かと接触しているあいだは、当の人物ではなく接触相手の時間的部分が構成要素になる存在者(デンゼル・ワシントン主演の「悪魔を憐れむ歌」*5を見た人なら、あの映画でのアジャゼルをイメージすると分かりやすいかも)これもThe Concept of Identityの例だとか。

で、Shoemakerはこんな存在者は存在しないと主張するわけですが、その一方で、規約を導入すれば「うちにはklableがひとつある」とか「そこに二人のcontacti-personがいる」と言えることは認めます(だからconventional identityなんだろうね)。ただそれは、「平均的な夫婦には1.2人の子供がいる」という文が「平均的な夫婦」や「1.2人の人間」の存在にコミットしないのと同じように、fishy thingの存在にコミットしないと主張します。

うん、Shoemakerの言ってることはいい線ついてる。ただ、四次元主義と相容れないとは思わないな。Shomaker自身は時間的部分を否定してるけど、それはLewisの立場であって、Siderの立場ではないから。